〜あの夏の燕岳。電波の届かない場所で〜
時々、ふと山の記憶の引き出しを開けたくなる。
ザックの重さ、土の匂い、頬を撫でる風。
そのすべてが、昨日のことのように蘇ってくる。
今日は、私の「王道・北アルプス」の話を。
2013年、夏のはじまり。
選んだ山は、燕岳(つばくろだけ)。
今思えば、なんて王道で、なんて贅沢な選択だったんだろう。
初日は登山口の中房温泉に泊まり、明日への期待を胸に眠りについた。
そして翌朝、いよいよ、あの稜線を目指して歩き始めた。
正直に言うと、その日の空は雲が多かった。
雑誌で見たような「突き抜ける青空と純白の稜線!」という景色には、出会えなかった。
でも、不思議なんだ。
あの頃の私には、見るものすべてが、ただただ感動だった。
周りの山が何て名前かなんて、知らない。
足元に咲く花の名前も、知らない。
それでも圧倒的に雄大で、どこまでも非日常で。
圏外になったスマートフォンを握りしめながら、
ここが社会と切り離された特別な場所なんだと実感する。
そのすべてが、私にとっては宝物のように新鮮だった。
森林限界を超え、背の高い木々が少しずつ姿を消していく。
空が、広くなる。
「あぁ、自分の足でこんなに遠くまで、高いところまで来たんだ」
一歩一歩、自分の足跡を噛み締めるたびに、
体の奥からじわじわと達成感が湧き上がってきた。
そして、たどり着いた燕山荘。
私の「山小屋」のイメージは、ここで完全に覆されることになる。
「まさか、標高2,700mの世界で、あんなに美味しいケーキが食べられるなんて」
「まさか、キンキンに冷えた生ビールが飲めるなんて、誰が想像しただろう」
夜の星空は見ることができなかった。
道具だって、山の道具屋さんで「これとこれ」と勧められるがままに揃えたものばかり。
知識も経験も、今思えば浅いものだった。
でも、それでよかった。
いや、それがよかった。
下山して、里に近づいたとき。
ふと、スマホが震えた。
ブブッ、ブブブブッ!
溜まっていた通知が一斉に鳴り響き、
「え、壊れた!?」と本気で焦ったあの瞬間が
私の非日常の終わりを告げる合図だった。
山の楽しみ方は、きっと人の数だけある。
山の上で飲むビールも最高。
山小屋で家族と乾杯するビールも最高。
可憐な高山植物にレンズを向けてもいい。
偶然出会えた山の動物に、一日中ハッピーな気持ちにさせてもらうのもいい。
やはり夏は、高い山が私たちを待っていてくれる最高のシーズンだ。
それぞれの「最高」を見つけに、この夏、山へ出かけませんか?
あれから一度も行けていないけれど。
また必ず行きたいな、あの思い出の燕岳へ。