〜専門学校編・後編〜
この日記は何回かに分けて、私、けいこがslowhikeを始めるまで
歩んできたことをお話しする日記です。
今日は専門学校 後編をお話ししようと思います。
前回は休学を決めたところまで書きました。
今回はその続き、スタイリストアシスタントとしての日々と卒業のお話です
月3万円、休みなし、体育座りの車内
アシスタントの仕事を始めるにあたって、
まず車の免許があること、都心に住むことが条件でした。
お金なんてもちろんないので、
家賃は親に頼んで出してもらいながらのスタートです。
月給は3万円、交通費込み。
今思うとよくそれで生活していたなと思います
仕事のスケジュールは前日に「明日は何時にどこへ」と告げられる形で、
休みはほぼありませんでした。
私は第2アシスタントとして、
衣装のリース返却や現場同行、
衣装制作などを担当していました。
スタイリストバッグと呼ばれる大きなバッグに衣装をぎっしり詰めて、
当時はまだ地図アプリもない時代に
文庫本サイズの地図を片手に都内を歩き回って
一番ハードだった日のスケジュールはこんな感じでした
11:00 新宿集合
13:00 スタジオ入り
14:00 大量のアクセサリーの中から指定のものを捜索
15:00 リハーサル
16:00 現場移動
19:00 撮影
21:00 夕食
22:00 生放送現場入り
24:00 生放送終了
25:00 衣装制作
28:00 終了
29:00 帰宅
先生の車での移動は交通費がかからないかわりに、
衣装だらけの車内でシートを倒した上に体育座りで移動していました
憧れの仕事、やっていたらやりがいでいっぱいなんだろうなって
当時の私はそう思っていました。
でも現実はそんなに甘くないし、
返却バッグは重たいし、
移動中の椅子は骨だらけでバランス取るの大変だし、
不規則だし、
現場で眠い時は寝ないように安全ピンで手を刺したりして
なんとか起きてたりしなきゃだし、現実しんどいなぁ
やめようと決心した、車の中の会話
そんなある日、
先生と車で移動中にふと交わした会話が、
私の気持ちを変えることになります
先生はヘルニア気味だったのですが「手術ってどのくらい入院するの?」
と聞かれて「切ったら2週間は入院じゃないですかね」
と答えたら、
「そんなに休めない!」と
アクセル踏んでいる感覚がないと言うくらい体がしんどくても
病院にも行けない。
親の死に目にも会えないって言われたし。
この仕事を続けていくことが、自分にはできるのだろうか
そう感じた瞬間でした。
その後、母に号泣しながら電話して「仕事を辞めて、復学させてください」とお願いしました。
わずか2ヶ月でのことです。
書いていて情けなくなりますが、
実家には帰らない、学校は休学したい、生活費は出してもらっている
これが情けなすぎる19歳の私の現実でした
フリーター9ヶ月、そして復学
実家には戻らずそのままひとり暮らしを続けながら、
復学するまでの9ヶ月間はアルバイトをして過ごしました。
それはそれで、楽しかったと思います。
4月に復学して残り1年。
高校から服づくりを学んで、スタイリストの夢を諦めて、親に迷惑をかけながら復学させてもらって
いったい何になりたいんだろう。
と改めて考えました。
そしてたどり着いたのが、「やっぱりデザイナーになろう」という、最初の夢でした
担任の一言が、火をつけた
就活がなかなかうまくいかない冬、担任にこんなことを言われました。
「あなたはデザイナーにはなれないわよ。クラスに60人いて、なれるのは2人くらいなんだから」と
今思えば当時の私の生活態度からしたら、
先生の言葉はあながち間違っていなかったかもしれません。
でも当時の私は無性に悔しくて、「絶対にデザイナー職で就職してやる!」
という気持ちだけで動いて、
最初の会社にハウスデザイナーとして就職しました。
親に甘えまくった、自分勝手な3年間。
それでも温かく見守ってくれた両親のおかげで卒業することができて、
なんとか社会人としての一歩を踏み出します
次回は社会人編を書いていきます
