〜社会人編2・嵐のような4年半〜
この日記は何回かに分けて、私、けいこがslowhikeを始めるまで
歩んできたことをお話しする日記です。
今回は前回の続き社会人編2、社会人6年目が終わるまでのお話です
「今度こそ我慢しよう」と決めた就職
転職が当たり前の今とは違って、当時はまだ定年まで同じ会社で働くのが普通、みたいなイメージが強かった時代でした。そのイメージが頭に根付いていたせいで、次の会社が決まるまでの2ヶ月間、ひとり勝手に気に病んでいました
スタイリストになりたくて飛び出して、すぐ辞めて。
学校は卒業させてもらって、今度こそと入った1社目も1年ちょっとで退職して。
皆んなは普通に同じ仕事を続けているのに、なんでこんなに続かないんだろうって。
自分が情けなくて、みじめで、でもそれをどこにも吐き出せなくて
ぐるぐるしていた時期でした
だから次の会社では、少しくらい嫌なことがあっても我慢しようと固く決めて。
いくつか受けた中で、社会保険がきちんと整っていることを条件に、
立ち上げから2年目くらいの、バッグなどのファッション雑貨を扱う小さな会社に就職しました
2〜3人の会社で、なんでもやった
この会社には結果的に4年半いることになるのですが、
1年目で早くも社長のことが嫌になりました。
理由はいろいろあって、でも「我慢する」と決めていたから、ぐっとこらえて。
ちょうどそのタイミングで営業が1人入ってきたのも、
なんとか踏みとどまれた理由のひとつだったかもしれません
2〜3人という小さな会社だったので、とにかく仕事の幅が広くて。
イラストや仕様書の作成、工場や商社との打ち合わせ、OEM系の営業、請求書や伝票処理、中国工場への出張、気づいたらなんでも自分でこなすようになっていました。
小さい会社あるあるというか、誰もやらなければ自分がやるしかない、の繰り返しでした
社長突如解雇事件
3年ほど経ったころ、突然社長が解雇されました。
当時の私には何が何だかさっぱりわからなくて、ただ取引先から怒られ、謝り倒す日々が続きました。
オーナーはお金のことしか見ていないので仕事量は普通に増えていって、
残業は毎日4〜5時間、週末は終電まで仕事するのが当たり前になっていきました。疲れているのに眠れなくて、眠れないから余計しんどくて、みたいな日々だったと思います。
そしてようやく落ち着いてきたかなという頃に、今度は脱税事件が起きます
ある朝出社したら見知らぬおじさんが2人いて。
午後になるとどんどん増えて15人くらいに。
国税庁の方々でした。
真夏の暑い日だったので、どんどん増えるおじさんたちでオフィスがとにかく暑かったことを今でも覚えています。
私物も資料も何もかも持ち出されてスカスカになったオフィスで、
またひたすら取引先に謝り倒す日々。
理不尽さと疲弊感が積み重なっていきました
家から出られなくなった
今だったら即辞めているだろうと思うのですが、なぜかその後も半年ほど勤め続けました。「少しくらい嫌でも我慢する」と決めた言葉が呪いみたいに頭に残っていて、辞めたいのに辞められない、でも行きたくない、そのループがずっと続いていました
気づいたら、朝家を出ようとすると体調が悪くなるようになっていました。
あの頃のことはあんまり詳しく覚えていないのですが、
かなり参っていたんだと思います。
結局4年半で退職して、声をかけてもらっていた同業の会社に移ることにしました
後にも先にもこんなに大変なことはないだろうと思っていたのですが
生きているとまだまだ苦難はあるものですね。
次回は3社目以降のお話を書いていきます
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!